「状況」と「情況」

 このタイトルは
 中村雄二郎さん(当時:明治大学教授)が
 1971年9月に発行された雑誌『思想』(岩波書店)の「思想の言葉」で
 用いている<言葉>である

 中村さんは哲学者である
 「状況」と「情況」の違いを彼はこう書く
 “漢語には「情状」という成語がある
 この場合
 「情」とは「心のうちに働くもの」であり
 「状」とは「心が外にあらわれるもの」であるとの区別が立てられている
 ふつう「なさけ」を意味する「情」から
 「情感」「情火」「情死」「情恨」などの成語がつくられているが
 これらについては「状」では置きかえられない
 とすれば
 「情況」とは
 感情や情念によって強く色づけられた「状況」であると言っていいだろう
 裏からいえば
 「状況」が感情や情念によって強く色づけられるとき「情念」になる”と

 思想は
 “感情や情念によって強く色づけられた「場面」が強く支配する日本語の世界”
 で営まれると言う

 そして 
 “思想は「場面」にとらわれていいものだろうか”と自問する
 思想はむしろ
 “「場面」や「情況」をまず超えることが必要であろう
 超えることによって
 かえって
 醒めたかたちで「場面」や「情況」のうちに生きうることになる”と考える

 「われわれ」とは何かも説く
 “本来「われわれ」とは
 われと汝(ら)
 われと彼(ら)
 (つまり
 われならざる他者)を含んだものであり
 決して「われわれ」の一体性は自明なものではない ”
 そうであるのにかかわらず
 “自明なものとするところに
 党派 組織から 国民全体の規模にいたるまで
 各個人に対して
 当然なこととして一体性を強制することになる”と

 “「情況」そのもののとらえ方が
 「場面」的拘束にとらわれていることへの明確な自覚を欠くとき
 事態は楽観を許さない”と鋭く分析している

 今の日本の「情況」世界の「情況」を
 見た場合にどうか
 中村さんの警鐘は今の世にも示唆的である
 
 彼はこう締め括る
 “それどころか
 そこには大きな陥穽があるように思われる”と
 
 この陥穽にはまってはならない

 どうぞ皆様 よいお年をお迎えください040.gif (ペコり!) 
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by hai-toku | 2011-12-31 10:22 | 気になる言葉 | Comments(0)