小林秀雄「鐔(つば)」

 今年の大学入試センター「国語」の試験にでた
 小林秀雄さんの「鐔」は
 彼が60歳のときに発表した作品である

 4月には「徳利と盃」5月に「壺」
 そして6月に「鐔」を『芸術新潮』に発表している

 この年には他にも
 『小説新潮』(「もみぢ」2月)
 『文藝春秋』(「考へるといふ事」2月・「ヒューマニズム」4月
 ・「福沢諭吉」6月・「還暦」8月)
 『朝日新聞(PR版)』(「人形」「樅の木」「天の橋立」「お月見」10月
 ・「季」11月)にも
 それぞれ作品を発表している

 60歳のときとは1962年(昭和37年)のことである

 小林秀雄さんといえば
 「ドストエフスキイの生活」「ランボウ」「モオツァルト」「セザンヌ」や 
 「西行」「実朝」
 「無常といふ事」「Xへの手紙」「様々なる意匠」
 それに作家論や紀行文が知られているが
 「鐔」という作品についてはよく知られていない(知らない)

 “人は詩人や小説家になることができる
 だが
 いったい
 批評家になるということはなにを意味するであろうか
 あるいは
 人はなにを代償として批評家になるのであろうか”
 江藤淳さんは『小林秀雄序論』の冒頭を
 そんな<言葉>で始めている

 小林秀雄という批評家を論じようとするときに
 最初に想起された問題が
 そのことだという

 小林秀雄さんは(文芸)批評家である

 江藤さんは前述の『序論』のなかで
 “「Xへの手紙」と「おふえりや遺文」とのかたちづくる対話
 というよりは独白の交換のなかに
 批評家小林秀雄の秘密がかくされている”という

 昨年亡くなった吉田秀和さんは
 “周りの空気と自分の内部に動き生くものを
 同時に把え
 一息に掬いとる手つき
 これは嗅覚から視覚 聴覚 触覚に及ぶ
 未聞の敏感さに恵まれた詩人の文章である”と

 小林秀雄さんの<文章>を そう評している

 “それはまた
 小林さんが思想と思想家を対象として書くときにも
 失われない”とも
 (筑摩書房『現代日本文學大系』第60巻
 月報8 「小林秀雄の嗅覚」より)

 そんな小林秀雄さんの作品

 「鐔」といっても今の時代
 イメージできない人もいるのではないか
 <刀の鐔>
 受験生にとってはどうだったんだろう

 <鐔迫り合い>
 こんな<言葉>もある

 「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人と思はぬ」
 桃山時代の代表的な鐔工といわれる信康が作った鐔に
 そう彫られていたという

 この彫られていた文句について

 小林秀雄さんは
 “これは文句ではない
 鉄鐔の表情”だという
 
 だから“眺めていれば
 鍛えた人の顔も
 使った人の顔も見えて来る”というのだ

 何と!
 
 そのあとこう続く
 “観念は消えて了うのだ
 感じられて来るものは
 まるで
 それは
 荒地に芽を出した植物が
 やがて一見妙な花をつけ
 実を結んだ
 その花や実の尤もな心根のようなものである”と

 なるほど
 <詩人の文章だ>

 そうこうして読んでみると
 前に進めない
 これでは受験生には気の毒だ

 美について
 “美といふものは
 現実にある一つの抗し難い力であって
 妙な言ひ方をする様だが
 普通一般に考へられてゐるよりも
 実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである”
 (「モオツァルト」より)

 文学について
 “文学といふものは
 元来君等の考へてゐるほど
 文学的なものではないのだ”
 (「ガリヤ戦記」より)

 そして
 「鐔」というものについて・・か
[PR]
by hai-toku | 2013-01-21 16:44 | 注目 | Comments(0)