舌切茶屋

 何とも物騒な名前の「茶屋」である
 その名前の由来を知って余計に驚いた

 京都清水寺の境内にその「舌切茶屋」が実在するというが
 果たしてそんな「茶屋」があったかどうかよく覚えていない
 京都に住んでいるのに・・と申し訳なく思う

 この店を商うのは近藤家本家5代目の子孫
 清水寺が近藤正憤の死後に
 遺族の生計を案じて正憤の妻に境内で営むのを許したという

 この話
 昨日の朝日新聞の夕刊「京ものがたり」に掲載されている

 
 近藤正憤は月照に仕えて その政治活動を支えてきた人物
 月照は「安政の大獄」の最中に幕府の追手を逃れようと
 薩摩藩に救いを求めたが拒まれ
 西郷隆盛と共に海に身を投じ死んだ僧

 <勤王> <佐幕>という当時の色分けで言えば
 <勤王の僧だ>
 その月照と関わる人物ということで
 正憤は捕まり
 月照の行方を聞き出そうとする幕吏から
 過酷な拷問を受けることになる

 その凄まじい拷問に屈するまいと
 自白を拒み
 「投獄の20日余りのち」と記事には書いてあるが
 自ら舌を噛み切り自決したという
 「安政の大獄」の時代
 43歳での死であった 

 「茶屋」の名は
 月照の関係者によるものという
 「舌切茶屋」
 5代目の当代は
 「先祖の生き方を受け継いでいけということだったのでしょう」と話している

 清水寺には正憤の顕彰の石碑があるという
 そこには一体何と書かれているのかと気になった

 そんな「舌切茶屋」の名前の由来の他にも
 驚いたこと
 それは俳優の近藤正臣さんの曽祖父が
 近藤正憤であったということ

 インタビューを受けた
 正臣さんはこんなふうに語っている
 「己を知る者の為に死す
 本当はそれやないかな
 舌切の真相は
 そんな血が俺の中に流れていたらええな
 と思う」と

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by hai-toku | 2014-08-27 17:46 | 徒然 | Comments(0)