カテゴリ:明六社( 31 )

明六社 その組織と性格 その31

  「明六社」による啓蒙思想の開花は、夜明けの
 日本の針路となり、その批判的摂取により結実さ
 れ、立憲政体という独立的近代国家に成長したの
 であるが、思想史において重要なことは、その政
 治史的な結果ではなく、むしろ、そこにあらわれ
 た「思想」自体であると思う。そして、その思想
 を通じて我々の現在・未来を思考し、輝かしい明
 日を目指すことではないか。
  本論における「明六社」の性格の分析は、『明
 六雑誌』によりかかったものであり、啓蒙思想の
 再検討という本来の目的から言えば、基礎的研究
 に終わったと思うが、今後の課題は、「明六社」
 という瞬間的な歴史事象に、如何に時間性を与え
 るかということであり、全体的な把握から、個別
 的な啓蒙思想家の研究にアプローチすることによ
 り、「明六社」論を完全なものとしたい。
  本論において、近代日本思想史を理解する手掛
 かりは掴んだと思う。
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by hai-toku | 2011-09-23 17:31 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その30

  性格については、例えば「明六社の解散時点」
 などの論究ができていないが、本論においては、
 『明六雑誌』から考えられた政府観・愚民観・
 反封建的性格・漸進的性格を指摘して、その特
 質の分析に務め、「明六社」の全体像を把握す
 ることを第一の課題とした。
  維新政権との関係では、従来から「政府の啓
 蒙専制主義の框外に出るものではない」という
 評価が支配的であるが、その側面はあるとして
 も、維新政権の「専制」傾向に対しては、『明
 六雑誌』に批判が見られるし、政府一辺倒の御
 用学者と考えるのは適当ではない。結果として
 考えてみた場合に、急激化する民権論と、それ
 に対応した形の政府の言論弾圧に、解散という
 事態に至ったが、それは権力に屈服したという
 ものではなく、福沢の「止ルノ議案」で明らか
 なように、学問的良心を守るために廃刊したも
 のであり、「今の日本は日本人民の日本に非ず
 して政府の日本と云はざるを得ず」という認識
 は、「明六社」の多数意見であった。
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by hai-toku | 2011-09-15 08:54 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その29

   「明六社」は、理論においては先行していたが
  後藤・板垣らの民権論者と比較すれば、現実的に
  は行政権に重点をおいた漸進論・時期尚早の論陣
  である。そこに、「明六社」の限界性もあるが、
  何度も繰り返すように、「明六社」は学術結社で
  あり、森有礼が憂慮しているように、民権論とい
  う「政事に係わる」ことにより、その存在そのも
  のが再検討を必要とされたものであろう。
   新しい時代の訪れであった。

    結語

   啓蒙思想とは、幕末の尊王攘夷思想と、啓蒙思
  想を乗り越えた形でおこった自由民権思想の間に
  はさまれ、維新期の文明開化・富国強兵の政策を
  推し進める原動力となったものだが、両者と比較
  する時、その歴史的意義なりが、過小評価されて
  いるように思う。それは、啓蒙思想が「変革の思
  想」としては、幾分曖昧な性格をもっていたこと
  にもよる。
   しかし、啓蒙思想、とりわけその中心となった
  「明六社」が、日本の近代社会の構築に果たした
  役割は、無視することはできない。
   本論では、そうした見落とされがちな啓蒙思想
  に焦点をあて、当時一流の啓蒙思想家が、「学問
  の高進を図り、道徳の規範立てん」として創設し
  た「明六社」の組織や性格を、『明六雑誌』にみ
  られる各同人の論を根拠にして考察してみた。

 
  

  

  
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by hai-toku | 2011-09-03 09:22 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その28

  最後に、「明六社」同人のうち、神田孝平と阪
 谷素は一般的に不可論とみられているが(38)、神
 田は「民選議院ノ時未ダ到ラザルノ論」で、少な
 くとも民選議院設立の必要性は認めている。(39)
 一方の阪谷は「明六社」の中ではまれな漢学者で
 あり、明治八年三月には、西村茂樹らと共に『洋
 々社』を創設した一人であるが、彼の民選議院設
 立に対する考えは、「質疑一則(40)」「民選議院
 ヲ立ル二ハ政体ヲ定ムベキノ疑問(41)」で明らか
 にしている。それによると、官選の議院を設立し
 て後に、民選議院を設立せよという漸進論的立場
 であり、「質疑一則」では、とくに「近日民選議
 院の説の如き眞事誌中説之を早とするも未だ之を
 非とするの人なし」として、当時の民権論争の一
 つの特徴を言い表している。

  (38)宮川、前掲書五十三頁。麻生、前掲書三二
  六頁。
  (39)「明六雑誌」第十九号。
   「民選議院起ラスンハ必ス国亡ヒン。国亡ヒ
  スンハ必ス民選議院起ラン。是レ我所謂時節到
  来ノ時ナリ」
  (40)「明六雑誌」第十一号。
  (41)同上、第十二号。

  このように、民選議院設立問題=自由民権論争
 については、「明六社」のほとんどの者が『明六
 雑誌』で何らかの意思表示をしており、また、独
 立的近代国家の形成を目的とした「明六社」の啓
 蒙運動が、「広く会議を興し万機公論に決すべし」
 という明治初期の理念の実現段階において、自由
 民権運動の新しい波を受け、その論争において、
 自らの性格を再確認する必要に迫られたといえる。
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by hai-toku | 2011-08-16 09:45 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その27

  道徳哲学者として有名な西村茂樹には、「政体
 三種説(34)」「政府与人民異利害論(35)」がある
 が、議院設立に対しては、民選議院についての
 「建言書」において、「民選議院の如きは理を以
 て至公平の極なり」と積極的であり、「政府は確
 定せんとするには民選議院を興すよりも先なるは
 無るへし」と断言している(36)。

  (34)「明六雑誌」第二十八号。
  (35)「明六雑誌」第三十九号。
  (36)西村茂樹には『日本道徳論』がある。この
  著は、西村が帝国大学で演説した稿本であり、
  最初の国民道徳論である。

  この西村あたりの論が、独立的近代国家の実現
 をはかる「明六社」の本音ではないかと思われる。
  大体において、漸進論・時期尚早の意思表示を
 した啓蒙思想家であるが、彼らは、「建白書」の
 主旨そのものを否定したのではなく、現実政策の
 面で難色を示したと考えるべきであり、そのこと
 は、彼らの知識人的性格を物語っている。勿論、
 彼らの官僚としての社会的立場も、考慮しなくて
 はならないが、そのことを指摘して、『明六社』
 の性格を規定するのには問題があるのではないか
 (37)。

  (37)宮川透著『近代日本の構造』(東大学術叢
  書)では、「明六社」の性格を「明治絶対主義
  政府の御用的な学術結社たらざるをえなかった
  『明六社』の、ならびに、啓蒙専制主義的な限
  界を出なかったかれらみずからの、階級的な存
  在性格をあらわに露呈するに至った」とある。
  三二頁。
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by hai-toku | 2011-07-31 07:09 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その26

  さらに板垣・後藤らが、征韓論に敗れ下野して、
 すぐに専制の責任を追及するのは、前参議として、
 維新政権を指導した当人として、矛盾していると
 批判している。このことは、官僚としての西の反
 発もあるだろうし、何よりも学識者として政府の
 内部から改革を進めようとする西との、政府観の
 違いが原因していると考えられる。
  夫レ政府ナル者ハ人民ノ以テ保護ヲ仰ク所人民
  ノ敵ニ非ルナリ。則チ官員トナリ議員トナル同
  シク是同船中ノ人ノミ(33)

  (33)西周「網羅議院ノ説」『明六雑誌』第二十
  九号。(明治八年二月刊行)

  以上で明らかなように、西の主張も、民選議院
 を設立する前に、官選の議院を過渡的に設立せよ
 という漸進論の立場である。
  津田真道は、民選議院の設立に賛成しているが、
 彼の場合は、議員としての資格を「華士族」およ
 び「多額納税者」に制限することを前提としてお
 り、それらの事情を考慮すると、一応、漸進論者
 といえる。
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by hai-toku | 2011-07-24 10:12 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その25

  僕亦両三年前迄ハ高論ノ如ク吾邦ニモ民選議院
  ハ速ニ起サルル可ラスト思ヘリ。然ルニ其後猶
  洋書ニ就キ及ヒ実際ニ照ラシ熟考シテ遂ニ民選
  議院ノ尚早キヲ知レリ(31)

  (31)「加藤復大井に答ふる書」『明治政史』第
  七篇。前掲書二二九頁。

  加藤にかなり論を要したが、これは、加藤がこ
 の問題に対して熱心だったことにもよるが、加藤
 の主張が、「明六社」の性格を適切に言い表して
 いるように思えたからである。他の同人も、程度
 の差はあれ、概して漸進論と言える。
  「明六社」創設の提案者である森は、政治問題
 を議論することを誰よりも憂慮しているが、彼も
 また「建白書」の「此段宜敷御評議ヲ可被遂候也」
 を引き合いに出して、現実に議院を設立すること
 は、政府の太鼓持ちとしての役割しか果たさない
 のではないかと皮肉な批評をしている。(32)

  (32)森有礼「民選議院設立建言之評」『明六雑
  誌』第三号。

  西周も、同じ『明六雑誌』第三号に「駿舊相公
 義一題」と題して、「かの自尊自重天下と憂楽を
 共にするの気象を有するは学識ある人に望むへし」
 「其論中偽論甚だ多きを恐る」と、手厳しく板垣
 ・後藤らを非難し、彼等を偽論家と決め付け、こ
 れらの偽論が、天下人民を扇動して議院を設立す
 るとすれば、「偽論家偽論家と相議し天下のこと
 汲々乎として亦殆からさむ乎」と論じている。

 
 
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by hai-toku | 2011-07-17 19:25 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その24

  加藤弘之は、大井憲太郎とも大論争を展開して
 いるが、これは、大井が馬城壷二郎の名で新聞に
 投稿したことに始まる。
  民選議院ヲ設立シ、下情ノ鬱屈ヲ伸シ、将来萬
  機ノ政公議ニ出サシメンヲ期シテ、更ニ公議ヲ
  張ルノ挙アラハ亦團冶ヲ補フニ庶幾カラン。故
  ニ曰ク持重鋭ヲ養フノ説亦大難ナリト(29)

  (29)「大井憲太郎 加藤弘之に質するの書」
  『明治政史』第七篇。ニニ七頁。

  これも時期尚早論への批判である。
  これに対して、加藤は有司専制の弊害を認めた
 上で、繰り返し漸進論を唱えているが、加藤の胸
 中には、維新政権の「開明性」に対する信頼があ
 り、その官僚として人民を指導し、独立的近代国
 家への改革を進めようとしているのであり、無知
 蒙昧の人民が、政治に直接関与することは、彼に
 とっては独立的近代国家の形成に逆行するものと
 思えたのだろう。
  しかし、大井の批判は、加藤の天賦人権と立憲
 政体の論を根拠としており(30)、それだけに、加
 藤にとって苦しい弁明を余儀なくし、ついには自
 己批判の形をとり、今迄の自己の主張を撤回して
 いる。

  (30)加藤の天賦人権の主張は、明治三年の『真
  政大意』に、立憲政体論は『国体新論』にみる
  ことができる。



  
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by hai-toku | 2011-07-03 07:13 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その23

  吾邦開化未全ノ人民ヲ挙テ天下ノ事ヲ共議セシ
  メ而シテ其公議ヲ採テ天下ノ制度憲法ヲ創定セ
  ント欲ス恐クハ木二縁リ魚ヲ求ムルニ類センノ
  ミ(27)

  (27) (26)と同じ

  この加藤の論は、愚民観に拠るのであるが、人
 民が未開化の状態では、いくら公議制を採ったと
 しても実情に合わないとするのである。この考え
 方は、他の同人にも共通するが、ここに「明六社」
 の啓蒙の特徴があると思われる。「明六社」の啓
 蒙の特徴は、国民教化であり、政治的変革よりも、
 むしろ民心の変革を求めた点である。ここに、「明
 六社制規」の主旨の本来の目的があり、学術結社
 として位置づけられるである。

  加藤の書を受け取った三氏は、古沢滋に答書を
 草案させ、さらに副島と福岡孝悌の二氏がこれに
 手を加え、『日新真事誌』(28)に掲載して、公
 に発表している。その答書は「斯議院の設立を以
 て非とする者を見す」という自信にあふれたもの
 であり、「御誓文」の意に反して、有司専制の維
 新政権の矛盾を鋭くつき、批判している。加藤の
 尚早論に対しては、「ミル」の言葉を引用して答
 え、民選議院の設立は時勢であるとして、加藤の
 協力を暗に求めている。

  (28)『日新真事誌』は、英国人ブラックによ
   って明治五年創刊された邦字新聞で、明治六
   年左院議事議案・建白等印行の許可を得てい
   たため、いち早く板垣らの建白書をかかげ、
   民権論振興の端緒をつけたものである。
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by hai-toku | 2011-06-25 07:28 | 明六社 | Comments(0)

明六社 その組織と性格 その22

  当時、参議であった木戸も、日記(25)に「建白
 書」のことを書いている。それは維新期の指導者
 として公議世論の実現を図った木戸が、心を動か
 されたためであろう。

  (25)木戸孝允日記第二(明治七年一月)
  同廿一日板垣退助小室信夫来談彼等の頃曰民選
  議院を建白せし一條に付又意見を陳述せり

  「明六社」にとっては、「建白書」の趣旨には
 賛成であったが、即時設立という点では時期尚早
 の立場をとり、漸進論を展開している。
  加藤弘之は、「建白書」が提出されると、早速
 異議を唱えて書を三氏に送り、「建白書」を批判
 しているが、それによると、「国家治安の基礎を
 固うする公議を張るより善きはなし」(26)として、
 原則的には一応の支持を表明しているのであるが、
 現実の問題として考えた場合に、難色を示すので
 ある。

  (26)加藤弘之「加藤弘之書を菖参議諸氏に贈て
  民選議院論を難す」『明治政史』第七篇『明治
  文化全集』政史篇。
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by hai-toku | 2011-06-18 07:29 | 明六社 | Comments(0)

学生時代の同人誌のタイトルです             


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