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KONMU(ねなし草)

カテゴリ:京都( 22 )

山宣の墓

 県神社から平等院の正門に向かう道
 最初の信号の交差点を右折すると
 坂道になっている

 その坂道を上っていくと
 (善法)墓地がある

 その墓地の中に
 「花屋敷 山本家之墓」と書かれた
 墓碑がある

 「花屋敷」とは
 現在も宇治川左岸にある旅館
 「花やしき浮舟園」を指す

 その家に生まれた一人が
 山本宣治
 1928年の初の普通選挙で当選し
 労農党の代議士となり
 治安維持法の強化に反対して
 暗殺された

 宣治という名は
 宣教師の「宣」という字と
 明治の「治」(宇治の「治」ではなかったようだ)をとって
 両親が名付けられたそうだ

 台石の北側には碑文が刻まれている
 “同志山本宣治の
  最後の演説から
  山宣ひとり孤塁
  を守る
  だが私は淋しくない
  背後には大衆が
  支持しているから
  大山郁夫書”

 西側には
 “昭和四年三月建之多年子”と書かれている
 多年とは山宣の母の名である

 命日にあたる3月3日には
 毎年墓前祭が開かれている 

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by hai-toku | 2017-02-22 12:06 | 京都 | Comments(0)

「京のええとこ連れてって」宇治のええとこ

 先日
 午後6時半からのNHK京都放送局の
 「京いちにち」というニュース情報番組

 「京のええとこ連れてって」というコーナーで
 宇治を話題にしていた

 短歌の枕詞
 “ちはやぶる”に隠された
 宇治との深~い関係
 
 と興味をひく

 実は
 “ちはやぶる”とは
 「神」と「宇治」だけにつく枕詞

 その名も
 「ちはやぶる宇治の未来を創る会」のみなさんと
 レポーター役を務めるNHKのアナウンサーが
 宇治川の右岸 左岸
 大吉山を訪れて
 その隠された謎に迫るという話

 「ちはやぶる宇治の未来を創る会」は
 「宇治の知られざる魅力を
  地域への誇りを
  掘り起こし
  発信を目指す」という人たち

 そんな「会」があるなんて
 <知らなんだ・・>

 “ちはやぶる 宇治の橋守 なれをしぞ あはれとは思ふ 年のへぬれば”

 “ちはやぶる 宇治の渡に 棹取りに 速けむ人し 我がもこに来む”

 あるある
 “ちはやぶる”だ

 宇治川右岸のさわらびの道
 宇治上神社を過ぎた辺りに
 与謝野晶子の「宇治十帖歌碑」が建つ

 そのすぐ北側
 大吉山の登り口に
 “そらみつ倭(やまと)の国あおによし奈良山越え
 て山代(やましろ)の管木(つつき)の原ちはやぶる宇治の渡(わたり)
 ・・”と

 ここにも“ちはやぶる”の「万葉歌碑」

 宇治川左岸の「宇治市観光センター」の前にも
 “ちはや人宇治川
 波を清みかも旅
 行く人立ちがて
 にする”という「歌碑」が建つ

 宇治川の川波があまりにも
 清らかであるからであろうか
 旅人たちはここから
 立ち去り難く思っている

 そんな意味だろうか
 <宇治はええとこなんや>ね037.gif

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by hai-toku | 2017-02-19 17:54 | 京都 | Comments(0)

『京都ぎらい』

 井上章一さんの『京都ぎらい』という新書が 
 よく読まれているようだ
 ベスト10に入っている

 井上さんは京都の嵯峨で育ったそうだ
 嵯峨は京都の北西
 行政区で言えば右京区
 中心部からは外れたところにある

 洛中・洛外と言えば
 洛外か

 その井上さんが「京都」「京都人」について語る
 少々 いや大いに斜めに構えて
 ひねくれて037.gif(いや 失礼!040.gif)
 書かれた本だ

 井上さんには『美人論』という著書もあった
 テレビのコメンテーターとして出演されていた時期もあった
 国際日本文化研究センターで話を聴いたこともあった
 面白い(ユニークな)人という印象がある

 井上さんは現在宇治市に住んでいるとか
 知らなかった・・
 その宇治のことも載っている

 宇治出身のプロレスラーが京都出身をアピールして
 「京都人」から「宇治のくせに」と野次られたという
 「京都人」からすれば「宇治」は「京都生まれ」ではない
 ということなのか

 「京都」とは「京都人」とは
 と
 井上さんはこの本の中で斜めに構えて切り込むが

 こんなふうに思うこともある
 宇治出身の芸能人がテレビで「京都生まれ」と答えるのを見て
 「いや違う 宇治生まれなのに・・」と
 宇治は京都とは違うと

 その宇治
 京都からけなされて
 宇治は城陽(隣のまち)とは違うと
 そんな連鎖

 こんな話がある
 城陽の前の市長が「城陽市とは京都のどこにあるのか」と問われて
 「城陽の隣に宇治があります」と
 「宇治人」からしてみれば
 「平等院がある」とか「10円玉の」とか「お茶の」とか
 そう言えば
 大概の人は分かってくれる

 「二千円札の」というのは
 ちよっと今では無理があるようだ

 城陽の市長
 「京都の・・宇治の隣の」と言えば良いものを
 「城陽の隣が宇治で・・」と
 そのプライド
 <何をか言わん>と思っていたが
 それも『京都ぎらい』に出てくる気持ちなのか

 古都の「いやらしさ」とは・・と
 そんな目で読むのも井上さんに言わせれば
 さてさて
 あなたも読んで見られたらいかがですか

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by hai-toku | 2016-02-28 14:00 | 京都 | Comments(0)

ご近所 隣人 -鶴見さんと永田さん御一家ー

  町内を同じうすれば時に会ふ鶴見俊輔生協に入る

 河野裕子さんの歌である

  大鳥居出で入る暮らしを同じうす鶴見俊輔鳥居道来る

 息子の永田淳さんの著書
 『評伝・河野裕子 たっぷりと真水を抱きて』の本の中で
 これらの歌が紹介されている

 京都の岩倉
 永田さんの家の近くに鶴見さんの家があって
 ご近所 隣人であったという

 岩倉郵便局で歌人の河野裕子さんと
 哲学者の鶴見俊輔さんが出会ったと
 淳さんは
 そう記している
 
 原稿を送るために河野さんが足繁く通っていた郵便局に
 鶴見さんも日課のように通っていて
 しばしば居合わせたそうだ

 ある日
 鶴見さんから「俳句を作る方ですか」と声をかけられ
 家族ぐるみの付き合いが始まったと言う

  つぼみのまま折りてゆきたる紅梅に涙ぐみたる鶴見俊輔
  いつだつけポストに一冊入れありき『隣人記』に「隣人へ」と署名ありき

 『隣人記』は鶴見さんの著作
 河野さんのこれらの歌から
 このご近所さんの親密ぶりや情景が目に浮かぶ

 そういえば
 鶴見さんが亡くなったとき
 夫の永田和宏さんのコメントが新聞に掲載されていた
 肩書きは
 「鶴見さんと自宅が近所の歌人で
 京都産業大学教授の永田和宏さん(脳細胞学)の話」とあった

 「鶴見さんの考えは浮いた哲学ではなく
 暮らしと切り離されていない哲学・・
 ・・こういう時だからこそ
 鶴見さんの言葉が欲しいと思った」と

 町内を同じうすれば時に会ふ・・
 道の向こうから親しいお隣さんがやってきた・・
 そんな光景が京都岩倉の地にあったという

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by hai-toku | 2016-02-20 11:24 | 京都 | Comments(0)

河野裕子さんも受賞した紫式部文学賞

 永田淳さんの著書『評伝・河野裕子 たっぷりと真水を抱きて』に
 河野裕子さんが「紫式部文学賞」を受賞した話が綴られている

 母の歌集『歩く』
 “最初のつまずきを除けば
 『歩く』は幸せな歌集となった
 翌年に若山牧水賞と紫式部文学賞というビッグタイトルを二つもとる
 若山牧水賞は歌集のみが対象の賞であるが
 第三回に父も受賞しており
 同賞初の夫婦受賞となった
 また紫式部文学賞は女流作家による文学全般が対象となる
 江國香織や吉本ばなな
 石牟礼道子といった作家が歴代の受賞者であり
 歌人では齋藤史に続いて二人目の受賞となった”と

 ここに書かれている「父」とは歌人でもある永田和宏さんのこと
 2002(平成14)年に河野裕子さんは「紫式部文学賞」を受賞したのだ

 この時のことをよく覚えていない
 「紫式部文学賞」の作品や受賞者のことは
 年によっては鮮明に覚えているのだが
 当時は縁遠くなっていたように思う

 この「紫式部文学賞」
 宇治市と宇治市教育委員会が制定した文学賞で
 市のホームページを見ると
 “「紫式部文学賞」は
 伝統ある日本女性文学の継承・発展と
 市民文化の向上に資することを目的としたもの”と
 些か堅苦しい表現で
 その制定の趣旨を載せている

 <市民文化の向上>とあるのは
 “源氏物語を始めとする歴史文化都市・宇治の
 イメージを全国に発信するとともに
 市民が文学に親しみ
 豊かな文化を育んでいけるように
 との願いが込められています”との思いからだろう


 「紫式部文学賞」と同時に「紫式部市民文化賞」を
 制定しているのもそこら辺りに理由がある

 河野裕子さんが受賞したのは第12回
 昨年『晩鐘』で受賞した佐藤愛子さんは第25回だから
 受賞者としては丁度真ん中辺り
 もうそんなになるのだ
 
 「紫式部文学賞」をご存知ない方も多いだろうから
 受賞者と受賞作品を列記する

 
 第1回 石丸晶子さん 『式子内親王伝 ー 面影びとは法然ー』
 第2回 江國香織さん 『きらきらひかる』
 第3回 石牟礼道子さん 『十六夜橋』
 第4回 石阪恵子さん 『淀川に近い町から』
 第5回 吉本ばななさん 『アムリタ』上下
 第6回 田中澄江さん 『夫の始末』
 第7回 村田喜代子さん 『蟹女』
 第8回 齋藤史さん 『齋藤史全歌集 1928-1993』
 第9回 川上弘美さん 『神様』
 第10回 三枝和子さん 『薬子の京』上下
 第11回 富岡多恵子さん 『釋迢空ノート』
 第12回 河野裕子さん 『歩く』
 第13回 大庭みな子さん 『浦安うた日記』
 第14回 俵万智さん 『愛する源氏物語』
 第15回 津島佑子さん 『ナラ・レポート』
 第16回 梨木香歩さん 『沼地のある森を抜けて』
 第17回 馬場あき子さん 『歌説話の世界』
 第18回 伊藤比呂美さん 『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』
 第19回 桐野夏生さん 『女神記』
 第20回 川上未映子さん 『ヘヴン』
 第21回 多和田葉子さん 『尼僧とキュービッドの弓』
 第22回 岩橋邦枝さん 『評伝 野上彌生子 ー迷路を抜けて森へ』
 第23回 赤坂真理さん 『東京プリズン』
 第24回 森まゆみさん 『「青鞜」の冒険 ー女が集まって雑誌をつくる』
 第25回 佐藤愛子さん 『晩鐘』
 
 錚々たる顔ぶれ 作品が並ぶ


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by hai-toku | 2016-02-19 18:50 | 京都 | Comments(0)

「雨中嵐山」の詩

 かって中国の首相であった周恩来さんは
 京都大学に留学していたとか
 
 青年であった周恩来さんが
 京都の嵐山を訪れ
 その印象を詠んだ「雨中嵐山」の詩

 雨中二次遊嵐山
 両岸蒼松、夾着幾株桜。
 到尽処突見一山高、
 流出泉水緑如許、焼石照人。
 蕭蕭雨、霧濛濃、
 一線陽光穿雲出、愈見姣妍。
 人間的万象眞理、愈求愈模糊、
 -模糊中偶然見到一点光明、
 眞愈覚姣妍。

 1919年4月5日の日付となっている

 雨の中 二度嵐山に遊ぶ
 両岸の青き松に幾株かの桜がまじる
 その尽きるところに一つの山が高くそびえて見える
 流れ出る泉は緑色に映えて 石を巡って人を照らす
 雨が静かに降り 霧が深く立ち籠めている
 日の光が雲間からさして いよいよ美しく見える
 世の中の諸々の真理は求めるほどにぼんやりとして
 ーぼんやりとした中に偶然一点の光明を見出せば
 真にいよいよ美しい

 と
 そんな意味になるのだろうか

 1919年の頃の嵐山
 その頃の中国
 恩師河上肇博士を慕って京都大学に学んだ
 周青年

 蕭蕭雨、霧濛濃、
 一線陽光穿雲出、愈見姣妍

 その思い
 中国の革命運動に身を投じる決意をした
 心境を
 この詩の中で詠んだ

 この「雨中嵐山」の詩の碑文は
 鞍馬石に刻まれて嵐山
 小倉山の麓 嵐山公園(亀山地区)に在る

 今日多くの中国の人たちが来日しているが
 どれだけの人がこの地を訪れているのだろうか
 そんなことが少し気になった

  (追記)
 ある方のブログではこう訳されていた
 こちらの方が詩的で意味としてもより相応しいか045.gif
 掲載させていただきます
 
 “雨の中二度嵐山に遊ぶ 
 両岸の青い松が 幾本かの桜を挟んでいる
 その尽きるところに 一つの山がそびえている
 流れる水は こんなにも緑であり 石をめぐって人影を映している
 雨脚は強く 霧は濃く立ちこめていたが
 雲間から一筋の光が射し 眺めは一段と美しい 
 人間社会のすべての真理は 求めれば求めるほどあいまいである
 だが そのあいまいさの中に 一点の光明を見つけた時には
 さらに美しく思われる”

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by hai-toku | 2015-08-31 19:14 | 京都 | Comments(0)

海老様の源氏ロマン

 京都南座での市川海老蔵特別公演
 『源氏物語』が今日初日を迎えた

 この日を前に昨日
 海老蔵さんは祇園にある
 八坂神社に参拝し
 本殿での神事ののち
 八坂神社の舞殿において
 公演のために創作した舞を仕立て直して
 披露したという

 白い狩衣に烏帽子を着けた装束で
 舞台の成功を祈願しての奉納舞である

 「成田屋!」という大向うの声が
 その舞を見届けた人々から掛けられたという
 
 海老様の源氏ロマンである

 この舞台
 「歌舞伎」と「オペラ」と「能楽」による競演の舞台
 海老蔵さんと
 メトロポリタンオペラで活躍する
 カウンターテナー歌手
 アンソニー・ロス・コスタンツォさん
 と言っても
 どんな人なのかよく知らないが

 兎に角
 相当な人なのだろう

 それに
 「能」
 片山九郎右衛門さん
 梅若紀彰さん
 観世喜正さんという面々

 他に特別出演として
 片岡孝太郎さんの名がある

 どんな舞台になるのやら
 創造的な表現が随所にみられる
 画期的な舞台になるのではと期待している

 宇治の平等院鳳凰堂も
 平成の大規模修理がようやく終了し
 待ちに待った内部拝観が再開された

 宇治は源氏ロマンのまち
 今日も大勢の観光客の姿があった
 海老様も是非お越しを

 8日の日に
 この舞台を観に行くことにしている
 どんな舞台になるのやら今から楽しみである 

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by hai-toku | 2014-04-05 19:05 | 京都 | Comments(0)

二つの「洛中洛外図」

 今日は興味深い話を聞いた
 二つの「洛中洛外図」

 「歴博甲本」と「上杉本」
 「暦博」とは
 国立歴史民俗博物館のこと

 そもそも「洛中洛外図」とは何か
 今日の講師である同志社大学教授の
 鋤柄俊夫先生は
 こう説明された

 “戦国時代から近世初期の
 京都の市中と洛外の様子を
 俯瞰的に描いた風俗画
 現在100点ほどが知られ
 六曲一双の屏風形式が多い”

 一隻(屏風を数える単位)には
 室町幕府の将軍御所をはじめとした
 上京から西山
 もう一隻には
 祇園祭で賑わう下京から東山を描く 

 「歴博甲本」は1525年
 「上杉本」は1565年の作と言われている

 「歴博甲本」の特徴は
 地図としての整合性 リアリティー
 信頼性が高い
 芸術性 四季性に富む
 春は東山 夏は鴨川四条 秋は嵐山 冬は北山と描く
 公家 武家 宗教といった権門が主人公
 一見すると地味
 1525年に造営された柳原御所が描かれている

 一方の「上杉本」
 織田信長が狩野永徳(1543-90)に描かせ
 上杉謙信に贈ったとされる
 四季性が薄い
 町の風景や活気に焦点 2,485人もの登場人物
 祇園祭と御霊会 職人と商人が描かれており
 庶民が主人公
 派手である
 再建された今出川御所が描かれている

 この二つの「洛中洛外図」
 それぞれの描かれている姿をみると
 特にその違いは下京の描き方にあると
 鋤柄先生は指摘された

 要約すると
 ①「歴博甲本」は五条以南が描かれていない
 ②「歴博甲本」のリアリティー性に疑問を持った
  「上杉本」は南北・東西の正方形の通りをそのまま描いているのに
  「歴博甲本」では南北二つの通りを一緒にしたりして描いている
  通りの表現の違いからは「上杉本」の方が逆にリアリティーがある
 ③当時の京都には二つの島宇宙があったが
  「歴博甲本」では上京・下京が繋がっている
  「上杉本」は途切れており
  下京の密集性もはっきりと描いている
e0133701_11135597.jpg

                 (左が「歴博甲本」右が「上杉本)

 五条以南にも人々の生活は成立していたのに
 「歴博甲本」に五条以南が描かれていない理由は何なのか?
 「上杉本」に描かれている密集度の高い下京とは何を意味するのか?

 先生は
 こんな仮説を立てる
 五条以南
 この地で1527年に大きな戦乱があった
 この戦いで敗れ のちに没落したのは
 細川高国であり
 「歴博甲本」の主人公である

 つまり五条以南は戦いに敗れたところであり
 書きたくなかった 避けた

 16世紀の中頃には従来の町割を無視した大きな堀
 町共同体を守るような堀が作られた
 「上杉本」では下京のまとまりの強さ
 町共同体の結束の強さを表現した結果ではないか

 <そういえば祇園祭も
 町衆の結束 町衆に支えられた祭りだった>

 メモしたものを頼りに書いているので
 正確でないところはお詫びするが
 実に興味深い話だった

 「洛中洛外図」の本物を是非見てみたいと思った
 東京国立博物館では
 いま
 特別展「京都ー洛中洛外図と障壁画の美」(12月1日まで)が
 開催されているとか

 東京までは無理だが
 いずれかの機会にと
 実物を見るのを楽しみにしている006.gif 
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by hai-toku | 2013-10-12 21:39 | 京都 | Comments(0)

第23回紫式部文学賞

 もう23回目となる
 宇治市が制定した「紫式部文学賞」

 今回の受賞作品は『東京プリズン』
 赤坂真理さんの作品だ
 
 この作品既に
 第66回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)
 第16回司馬遼太郎賞
 「ダカーポ」Book of the Year 2012〈今年最高の本!〉第1位
 を受賞している
 評価の高い作品だ

 選考にあたった文芸評論家で
 国際日本文化研究センターの名誉教授でもある鈴木貞美さんは
 「私の家」(日本)で
 大人たちが子どもの眼から「隠してきたこと」
 アメリカの捕囚としての日本の姿を
 15歳でアメリカに留学した少女が
 30年後に掘り起こし
 その「隠された」戦後日本のベールを剥いでゆくという作品
 と
 そう紹介している

 同じく
 選考委員の一人である
 中国文学者で国際日本文化研究センターの名誉教授でもある
 井波律子さんは
 講評で
 “東京裁判を皮切りとする戦後日本の姿
 さらには日本の歴史を捉え直す
 いわば大きな物語を
 ダイナミックに作者は描き上げた”という

 ・・東京裁判→プリズン(prison)→
   刑務所→拘置所→巣鴨プリズン→
   東京プリズン・・ 

 主人公は
 “アメリカ留学中に
 衝撃的な異文化体験をした15歳の少女と
 30年後の彼女の2人”
 “複雑に屈折した回路をたどりながら
 万華鏡のように多角的に展開する”作品だという

 “身体的な感覚を通じて
 生々しい形で描かれる幻想と
 現実を交錯させながら物語を形作る手法”で書かれた
 この作品は
 “小説ならではの語り口であると同時に
 現代における小説の可能性を追求している”と
 その<表現の形容>の難しさにも
 戸惑ってしまう

 受賞者である赤坂さん自身は
 どう語っているのだろうか

 “近現代日本史のタブーであった
 天皇と
 その戦争責任
 こんなことを小説で考えてみたいと・・”
 「変なことを考えてしまった」と胸中を吐露する

 そのとき
 念頭にあったことは
 “実は光源氏のような存在”だったと語る

 “天皇は
 古代や中世には
 歌を詠み
 恋をする存在でした
 いわば
 光源氏

 そうした天皇と
 明治以降の軍服を着て馬に乗った天皇とは
 断絶があります”と

 “今を議論するには
 私たちは
 断絶以前を知らなければなりません”
 そんな思いを語っている

 “「文明の裁き」として行われた
 「東京裁判」を
 いま
 大胆に
 国家や文化の成り立ちまでをふくめて
 問いなおす日本文芸の久々の意欲作”と
 選考委員の鈴木さんは
 この作品を寸評する

 “そこに育ったわれわれが
 そこから脱け出る道はないのか”とは
 これも難しい<批評>である

 如何せん
 実はこの作品をまだ読んでいない
 予断を持たず
 読むことが肝心だとそう思っている

 “紫式部が生きたおよそ千年前に
 女性の作家がいた地域”
 それだけでも
 “世界でもきわめてめずらしいのだそうです
 そういうことを
 私たちはもっと誇りに思っていいと思います”
 赤坂さんの
 この<言葉>
 大切にしたいですね
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by hai-toku | 2013-08-15 11:42 | 京都 | Comments(0)

厄除ちまき

 今日は祇園祭の巡行の日

 この頃
 京都は梅雨明けを迎え
 夏の蒸し暑さが街中を支配する

 家の玄関に飾る「厄除ちまき」を取り替える
 「ちまき」は漢字では「粽」と書く
 食べるものではなく
 玄関先につるす厄除け

 昨日四条通烏丸西入の
 函谷鉾(かんこぼこ)に行き
 一年前の「厄除ちまき」をお返しし
 新しいものを求めてきた

 “元来 「ちまき」は
 和名「茅まき」で
 茅に特別な霊性を認めた日本古来の考え方から
 厄難消除のために
 玄関の外側にかざるものです
 毎年
 祇園祭になると新しい「ちまき」に
 取り替えるならわしになっているようです”
 との説明がある

 函谷鉾は
 鶏の鳴き声によって函谷関を抜け
 脱出したという斉の孟嘗君の故事に由来している
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 厄を除ける蘇民将来之子孫の証

 よく見ると「粽」に
 「蘇民将来之子孫也」と書かれている

 「蘇民将来之子孫」
 祇園祭は八坂神社の祭礼である
 その八坂さんの祭神である牛頭天王が
 一夜の宿を求めたときに
 裕福な巨旦(こたん)には断られたが
 その弟である貧しい蘇民将来からは温かいもてなしを受けた

 やがて行疫神となった牛頭天王は
 巨旦の国を疫病で滅ぼしてしまったが
 蘇民将来の子孫には害は与えないと約束し
 防疫の方法である「粽」を教えたとの伝説がある

 「蘇民将来之子孫也」
 これで厄を逃れようと玄関先に飾るのである

 元々は「御祓い」の信仰から生まれたものであり
 同時に
 古都の風物にもなっている

 日々に感謝し
 この一年
 家内安全無病息災でありますように

  (追記)
 久々の投稿です
 旅行に行っていました
 その様子は別に記したいと思っています040.gif 
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by hai-toku | 2013-07-17 16:50 | 京都 | Comments(0)

学生時代の同人誌のタイトルです             
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