カテゴリ:読書( 189 )

『“同い年”ものがたり』を読んで (2)

 1945(昭和20)年生まれの世代
 この世代もすでに70代
 戦後世代と言っていい世代

 どんな子ども時代を過ごしたのだろう
 私よりも上のお兄さん お姉さん世代
 吉永小百合さんがこの世代の代表格だ

 モノクロ映画
 確かそうだったと思うが『キューポラのある街』が
 印象に残っている

 橋幸夫と歌った「いつでも夢を」とか
 「寒い朝」さわやかな歌声も忘れられない

 1952(昭和27)年生まれには
 東京都議選で自民党を大惨敗に追い込んだ
 小池百合子東京都知事がいる

 安倍晋三首相はさらに2学年下
 1954(昭和29)年というから驚く
 「アベノミクス」というまやかしで
 景気を煽るが
 いつまでたっても実感がない

 経済優先どころが
 政治の方向は「右向け右」で
 国会軽視は甚だしい

 「安倍一強」政治と言われる
 首相に
 夏目漱石のこの句を贈りたい

  菫ほどな小さき人に生れたし
 
 この句に現れた生き方
 胸に刻まれたら如何

 ドイツのメルケル首相も実は
 1954年生まれ
 同い年だ

 安倍さん
 今 メルケルさんと
 どんな<言葉>を交わしているのだろうか

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by hai-toku | 2017-07-07 18:02 | 読書 | Comments(0)

『“同い年”ものがたり』を読んで (1)

 この書に出てくる人物
 目次から拾うと
  戦後を創った第一世代
  天皇と“同い年”世代
  戦後を彩った人々
  戦後世代の誕生
  高度成長とサブカルチャー世代
  豊かさと反乱の後に
  「新人類」と呼ばれた新世代
 というふうに区分されている

  戦後を創った第一世代とは
 1924(大正12)年生まれの人たちで
 その中にはジミー・カーター元大統領も取り上げられている

 記憶の中では
 若いイメージ―があるが
 彼も1924年生まれ
 元号で言うと大正12年だから
 意外という感じがする

 とは言え
 彼が第39代アメリカ合衆国大統領になったのは
 1976年の話だから
 もう随分昔のことになる

 時の流れの速さに
 驚くばかりである

 藤島泰さんは
 現天皇と学習院時代の“御学友”であったとか
 その“御学友”の皇太子時代を描いた小説
 『孤獨の人』という作品が紹介されているが
 一度読んでみようと思う

 この年代
 天皇と“同い年”世代で括られる
 1933(昭和8)年生まれには
 菅原文太さんや永六輔さん
 黒柳徹子さんらが紹介されている

  戦後を彩った人々
 正に1937(昭和12)年生まれのスターたちは
 その名が相応しい

 美空ひばり 江利チエミ 雪村いづみの「三人娘」
 加山雄三 緒形拳といったスターたち
 ダスティ・ホフマンやジャック・ニコルソン ジェーン・フォンダという
 海外のスターたちも
 この年だ

 意外なのは
 小渕恵三 橋本龍太郎 森喜朗 河野洋平という
 政治家たちの名もある
 「戦後を彩った」とい形容詞は疑問だが・・

 1960年の安保改定反対デモの中で亡くなった
 樺美智子さんもこの中の一人だ

 “誰かが私を笑っている
  向こうでも こっちでも
  私を7あざ笑っている
  でもかまわないさ
  私は自分の道を行く
  ・・
  ただ許されるものなら
  最後に
  人知れずほほえみたいものだ”
  (東京多磨霊園にある樺さんの墓には
   墓誌の上段に この「最後に」という詩が刻まれている)

 『人知れず微笑まん』と題する
 彼女の遺稿集

 1937年生まれの彼女が
 デモの中で死なずにいたら
 その後の人生をどう生きたのだろうか
 時代をどんなふうに見つめたのか
 そんなことが気になった

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by hai-toku | 2017-07-05 11:39 | 読書 | Comments(0)

『苦海浄土』」を読めるか

 その本の分厚さに
 読む前から諦めていた
 読めないだろう・・
 根気が続かない
 勝手にそう決めつけていた

 三月に開かれた
 「石牟礼道子の宇宙」(主催 藤原書店)というシンポジウムについて
 朝日新聞に記事かあった(3月22日朝刊)

 熊本の病院で療養している
 石牟礼さんに記者がインタビューしている

 “誰に読んでもらえるとも思わず
 一人で戦うつもりで書きました
 「もだえてなりと
 加勢せんば(もだえることしかできなくても
 加勢しなければ)」
 という気持ちでした

 何もできない私です
 せめて患者さんのそばで
 一緒にもだえることしかできないと
 思ったのです”と
 そんなふうに話す

 池澤夏樹個人編集の「世界文学全集」の
 一巻に『苦海浄土』が収められている
 その巻の解説で池澤さんは
 こう書く

 “なぜ石牟礼道子に『苦海浄土』が書けたのだろう?
 日本社会に社会的不正は多く
 たった今の沖縄を見ればわかるとおり
 大規模な受苦は珍しくないのに・・
 ・・
 石牟礼道子は水俣に住む人々の幸福を知っていた
 充分に知っていた
 それが無残に失われたという事実が彼女を背後から押した”と

 “居るべき場に必ず立ち会う証人・目撃者になり
 ・・患者の「つきそい」を務め
 その見聞のすべてを自分の魂の内に引き込み
 玄妙な変成作用を経た成果を書き記した”と
 『苦海浄土』の世界を伝える

 4月14日付の宗教紙「中外日報」の社説
 “都市に群れるハトは
 人になれ過ぎて危険が迫っても逃げようとしない
 その習性が
 時代の危うい空気に鈍感な今の世とどこか重なり合うという意味の警句”
 「都会のハト」の例えについて書く

 “人は見たいものだけを見る
 見たくないものは大切なことであっても
 知らない方が心地いいから見て見ぬふりを決め込む
 見て見ぬふりは増殖し
 外部からはとんでもない状況に見えても
 当事者は気付かない

 やがて破局を迎え
 「なぜ気付けなかったか」とぼうぜんとするのがその結末だ“と

 “都会のハトを笑えない”と警告する

 “かつて「日本精神」を称揚する書籍の出版ブームからわずか数年後
 日中戦争が本格化した
 全体主義は権力と世論が共振し合って高揚するというが
 自己の望む情報だけに浸れるネット社会には
 集団の暴走が起きる危険性も潜む
 社会の異常への気付きを促す役割を
 誰かが担わねばならない”と結ぶ

 書店に並ぶ本
 “たとえば書店には自国を美化し
 隣国を貶める本が山積みにされ
 それなりに売れているらしい
 極めて危うい風潮です”
 雑誌『世界』の5月号でも
 原武史さんはそう語る
  (座談会「象徴」のゆくえ)

 「中外日報」の社説や
 『世界』の座談会での原さんの<言葉>
 同じように
 現在(いま)の時代を読み取る

 「誰かが担わなければならない」とのメッセージ
 
 石牟礼さんは言う
 「何もできない私」と

 その私
 決して<鈍感>な私ではない
 世の中と無縁ではない

 だからこそ
 『苦海浄土』を読んでみようと
 そう思い直した

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by hai-toku | 2017-04-16 14:29 | 読書 | Comments(0)

九冊目の歌集『歩く』

 歌人の河野裕子さんの九冊目の歌集が『歩く』である
 この『歩く』で河野さんは宇治市の紫式部文学賞を受賞している

 もっともご本人は
 この歌集で第六回の若山牧水賞も受賞していることの方が
 印象深かったのかもしれない

 なぜなら
 若山牧水賞の第三回の受賞者が
 夫の永田和弘さんであったからだ

 前年の秋に
 河野さんは乳癌の手術を受け
 “そのあとしばらく
 歩く力が戻らなかった”という

 だから
 “歩くということが
 どんなに大切なことであるかをしみじみと感じていた”と
 記している

 迷わず
 歌集のタイトルは『歩く』にしたという
 “タイトルに励まされながらまとめた歌稿”だという

  ゆっくりと 治ってゆかう 陽に透けて 横に流るる 風花を吸う
 『歩く』に収められた一首
 「ゆっくりと」という<ことば>が
 河野さんの気持ちを表している

 手術後九年目の歌
  いつまでも 伴侶で居られる 筈もなし 手術後九年が そおっと過ぎた

 “人間には生涯にただ一度という出会いというものがあり・・”と
 女人高野室生寺に訪れた際に
 「出会い」についての心境を
 そう表現する
 
  みほとけよ 祈らせ給へ あまりにも 短きこの世を 過ぎゆくわれに
 “人がこの世に生きられる時間はあまりにも短い
 それを思わないではいられない
 六十余年を生きてきただけのわたしの実感である”
 そんな河野さんの一首である

 河野さんが遺したエッセイをまとめた
 『わたしはここよ』(白水社)という本を読んだ

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by hai-toku | 2017-03-19 18:58 | 読書 | Comments(0)

尹東柱詩集『空と風と星と詩』「序詩」

 죽는 날까지 하늘을 우러러
 한 점 부끄럼이 없기를,
 잎새에 이는 바람에도
 나는 괴로워했다。
 별을 노래하는 마음으로
 모든 죽어가는 것을 사랑해야지
 그리고 나한테 주어진 길을
 걸어가야겠다。

 오늘밤에도 별이 바람에 스치운다。

 尹東柱詩集『空と風と星と詩』の初め
 「序詞」をハングルで書いてみた

 ハングルを読めないので
 どう読むのか知らないが
 岩波文庫の金時鐘さんの編訳では

 “死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥じ入ることもないことを、
 葉あいにおきる風にさえ
 私は思い煩(わずら)った
 星を歌う心で
 すべての絶え入るものをいとおしまねば
 そして私に与えられた道を
 歩いていかねば。

 今夜も星が 風にかすれて泣いている。”と訳す

 この詩は1941年の11月20日の作ったと記されている

 岡部伊都子さんの『遺言のつもりで』(藤原書店)の中では
 伊吹郷さんの訳で

 “死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱(はじ)なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 私は心を痛んだ
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 今宵も星が風に吹き晒される”と
 こう訳されている

 いずれの訳にも心を打たれるが
 原文の尹東柱(ユンドンジュ)さんの思いを伝えきっているのだろうか

 「風に思い煩い そよぐ風に心を痛める」
 「星を歌う心ですべてのものをいとおしむ」とは

 「私にあたえられた道」とは
 その道を「歩まねば」と思う心は・・

 “尹青年は京都でどんなに多くの詩を書かれていましたのか、
 時代とコリアへの純粋なお気持ちが、このアキの一行にこもっています”と
 岡部さんは本の中で書かれている
 
 思いこもる人々として「尹東柱詩人」の名を挙げ
 <純粋な美しさ、若く散らされた>という文字を添えている 

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by hai-toku | 2017-02-21 11:40 | 読書 | Comments(0)

なまえ

 「なまえ」
 聞く人は「名前」とほぼ認識するだろう
 漢字で書くとと問われれば
 「名前」と書くだろう

 「名前(なまえ)」を
 「みょうまえ」とは答えまい

 なら
 「則子」はどうだ
 大方の人は「のりこ」と読むだろう

 「田沼則子」
 誰あろう
 俳優の三木のり平さんの本名である

 「のりこ」ではなく
 「ただし」と読むそうである

 お母さんがのり平さんのお父さんに
 つまり夫に
 “いくらなんでも男に「子」がつくのは
 おかしいと言ったら” 
 夫は
 “じゃ小野妹子は女か
 孔子は女かと反論し
 子がつく男は立派になるんだ”と言ったとか

 相当へそ曲りなお父さんだったらしい
 当ののり平さんは
 その名前をどう思っていたのだろうか

 京都市で名のある方だが
 「珍男子」という名前の方がおられた
 一体どう読むのだろうかと
 その名を見るたびに思ったものだか
 「いずひこ」と読むそうだ

 「ちんだんし」と
 子どもの頃はからかわれていなかっただろうか
 本人はどう思っていたのだろうと
 そんなことも考えた

 のり平さんは
 “「この子は則(すなわ)ち わが子」で
 則子という説もある”と
 洒落のきつかった父親の名付けの理由を
 そう付け加えていたという

 佐高信さんの『佐高信のお墓紀行』(光文社知恵の森文庫}
 に出てくる話である 

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by hai-toku | 2017-02-07 18:17 | 読書 | Comments(0)

中谷治宇二郎と由布院

 数学者の岡潔さん
 数学者というだけでなく思索家
 「情緒とはなにか」
 についても問いかけ
 思索を巡らしている

 彼のエッセイを収めた
 『春宵十話』『春風夏雨』『夜雨の声』
  (いずれも角川ソフィア文庫)を読んだ
 
 『春宵十話』の中に「中谷宇吉郎さんを思う」がある
 中谷さんは寺田寅彦さんの高弟(岡潔さんの表現)で
 物理学者
 その弟の治宇二郎さんとは
 パリの留学先で知り合い生涯の友
 親友となる

 中谷さんのことは長い間
 「なかたに」さんだと思っていたが
 『数学する人生』の本にはルビが振ってあり
 「なかや」と読むと知って
 赤面した

 <著名な物理学者だ>
 と自分なりに分かっていたつもりが
 全くの知ったか振りだった

 よく読めば『春宵十話』にもルビが
 振ってあったのに気付かずに
 そのまま「なかたに」と思い込んでいたのだ

 『春宵十話』にも治宇二郎さんに関する
 記述がある
 “私はこの人がいきているうちはただ
 一緒にいるだけで満足し・・”
 と岡さんは記し
 “治宇二郎さんは1936年3月に亡くなったが
 このあと私は本気で数学と取り組み始めた”と
 そんな間柄だったのだ
 
 『数学する人生』の中のこの記述
 “(脊髄カリエスを病んでいた)
 治宇二郎さんは由布院に静養した”とあるが

 「なぜ由布院に?」と疑問に感じたが
 その続きを読むと
 “治宇二郎さんの伯父さんは別府の旅館
 亀の井の主人にすっかり見込まれて
 由布院の金鱗湖畔に見事な庭を作り
 小さな家を建てた
 これが亀の井別荘であって・・”
 と・・

 「ええっ! そうなのか!」と驚く
 そんな縁があったのか
 時代は違えど
 同じ場所に佇んだのだ
 岡さんと 治宇二郎さんと
 
 自分にも縁の深い由布院
 本の中のお二人との距離が
 近くなったような気がして
 嬉しい気持ちでいる

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by hai-toku | 2016-09-29 18:13 | 読書 | Comments(0)

「人間宣言」

 「人の世に熱あれ 人間に光あれ」 
 というのは「水平社宣言」の最後の<言葉>だ

 『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」』の本の中で
 永さんが作家の住井すゑさんと
 “水平社宣言を誰が書いたのか
 「人間に光あれ」の「人間」をなんと読むのか
 それについて話をしました”という箇所がある

 「水平社宣言」を起草したのは西光万吉さん
 住井すゑさんの書いた『橋のない川』に
 お寺の息子のモデルとして西光さんは登場する

 その縁で住井さんから
 永さんは西光さんを紹介してもらったそうだ
 何度も永さんは住井さんの自宅を訪ねたそうだが
 二人してそんな話をしている

 “西光さんは「人間」を「じんかん」と読む
 仏教用語を用いた
 すべての命は平等で
 そのすべてを光にという意味です”

 そういえば『人間宣言』という
 永さんと住井さんの共著の文庫本がある
 その本には確かに「じんかんせんげん」と
 ルビが振ってある

 “西光万吉さんが「光あれ」といったのも
 平等という言葉を光と置き換えたのであって
 つまり「平等であれ」ということなんでしょう
 それを(じんかん)と読めば
 地球上のものすべてと広がります

 そして西光さんの場合はもう一つ
 「人間というのはいたわり合うものじゃないんだ
 尊敬し合うものなんだ」ということがあります”と

 読み返してみて
 忘れてはならない<言葉>だ
 モノの考え方だと
 改めて思いました

 「光あれ」というのは「平等であれ」ということ
 「人間(じんかん)宣言」の精神なのです

 「世界記憶遺産」に選ばれて然るべきだと思うのですが

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by hai-toku | 2016-09-14 11:03 | 読書 | Comments(0)

「三木のり平」という芸名

 「田沼則子」
 どう読んでも「たぬまのりこ」
 へそを曲げて「たぬまそくこ」

 この名では
 女性をイメージするのが自然だ

 しかし
 この名前
 「たぬまただし」と読むそうだ

 子どもにとっては迷惑千万
 いちいち説明しなくてはならない
 何という親なのだろう

 その親
 この子の親は
 “孔子や老子に倣って子をつけたそうで”と
 その名前に対する思いが書かれているが

 子どもにしてみれば・・
 
 「のり子」という女性だと勘違いされて・・と
 そんなエピソードまで語られている

 “冗談みたいな名前”と書かれているが
 冗談ではないのだ

 この「田沼則子」さんが
 「三木のり平」さんなのである

 三木鶏郎さんが
 「三木のり平」という芸名の名付け親なのだが
 三木鶏郎さんとは・・と
 今では知らない人も多いのだろうが
 私の年代なら
 そのまま話が進む

 “才能豊かな異色の人物”
 鶏郎さんの周りにはそんな人たちが集まる

 その一人が
 「三木のり平」さん
 新人であった彼が鶏郎さんに
 「芸名をつけてください」と頼み込んだという

 “本命の則子を「のりこ」とよく間違われると聞いた途端”
 鶏郎さん
 “「・・じゃあ のり平というはどうだろう?」”と
 “咄嗟に浮かんだ名前を口にして即決”
 喜劇俳優を目指す「のり平」さんにピッタリと
 名付けたそうだ

 「のり平」さんもなかなかの人物
 秀吉がそうであったように
 “三木さんの苗字も欲しいと頼み”
 「三木のり平」という芸名が誕生する

 ここまで読んで
 可笑しくて
 顔がほころんだ

 『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」』(集英社新書)を
 読んでいての話

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by hai-toku | 2016-09-08 18:06 | 読書 | Comments(0)

村上春樹 雑文集

 『村上春樹 雑文集』と題する文庫本を買って読んだ
 著者自身が語るように
 “雑多なものだから
 あくまで雑多なままでよかろうと”と
 そう納得して
 タイトルにしたようだ

 “編集者との打ち合わせなんかで
 ずっと「雑文集」と呼んでいたので
 「もうそのままでいいしゃないですか」・・”と
 そういうことらしい

 「雑文」と言うが
 それならどんな内容が
 この本の中に収められているのかと言うと
 “エッセーから
 いろんな人の序文・解説から
 質問に対する回答から
 各種あいさつから
 短いフィクションまで・・”と実に幅広い

 著者は
 “「雑多」としか言いようのない構成”と言うが
 「雑多」「雑文」という<言葉>では
 言い表せない内容ではないか
 と
 そんなふうに思った

 この本に中には
 あのエルサレム賞・受賞のあいさつ
 「壁と卵」も収められている

 村上春樹さん
 今年もノーベル文学賞の候補に挙がっていたが
 1949年の生まれ
 しかも京都市生まれだという

 同じころに京都で生を受けた
 吾輩としても
 どこかに接点があるような
 親しみを感じる筈(思い込み040.gif)だが
 
 ズレているというか
 合わない

 村上さんは京都市生まれとはいうが
 すぐに
 兵庫芦屋の方に転居されたようだ
 <それでか!>と
 これも勝手に納得

 書かれる文章も
 同世代でありながら
 住んでいる世界が違うような
 感覚の違いを感じる

 「興味・関心」というか
 村上さんは
 <日本人>というよりも<世界人>
 こんな例えが当たっているかどうか
 書くのさえ恥ずかしい思いだが
 そんなふうに感じる

 <幅広い>というか
 違うのである

 だからなのか
 読んでいても
 途中でしんどくなってしまう
 これはレベルが違うせいなのか

 「東京の地下のブラック・マジック」という
 アメリカの雑誌から依頼を受けて書いたという
 地下鉄サリン事件と『アンダーグラウンド』に
 ついての<雑文>で
 著者は「団塊世代」と「しらけ世代」について
 彼らは<こういう世代>だ
 と語っているが
 
 果たしてそうなのだろうか
 と
 直ちに納得できなかった

 それに阪神淡路大震災に対する
 日本政府の危機処理能力に対する辛辣な<言葉>
 “・・大地震に対する日本政府の危機処理能力は
 信じがたいほどお粗末なものだった
 彼らは驚愕に文字どおり立ちすくみ
 敏速で適切な対処をすることに失敗した

 ・・・
 政治家の無策と官僚システムの硬直性が
 その大きな原因だった”と
 痛烈に批判している

 「少年時代を神戸近郊で過ごした」という
 村上さん自身の強い思いであったかも知れないが
 これほどまでに言うならば

 村上さんには
 現在の政治状況はどんなふうに映っているのだろうか
 どんな<言葉>で言い表すのだろうかと
 そちらの方が寧ろ気になった

 その発言が聞きたい

 「聞こえた?」
 「何でもないさ」
 「国に帰って確かめてみた方がいいんじゃないかしら?」
 「いやー何でもないさ」
  (スコット・フィッツジェラルド「マイ・ロスト・シティー」)
 この作品の最初の方に引用されていた<言葉>

 “どのような国の歴史にも
 あるいはどのような人の歴史にも
 いくつかの劇的な分水嶺がある”と<言葉>を繋げる

 繰り返しその<言葉>を読むうちに
 現在の日本の政治状況について
 村上さんならば
 どう語るのか
 と
 無性に知りたくなってきた

 「戦争は文化ではありません」
 安全保障関連法案が参院特別委員会で強行採決された9月17日の夜に
 国会前のデモで俳優の石田純一さんは
 そう叫んだ
 
 村上春樹さんならば・・どうなんだろう
 と
 そんなことを考えている

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by hai-toku | 2015-11-11 19:16 | 読書 | Comments(0)

学生時代の同人誌のタイトルです             


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