カテゴリ:邂逅( 165 )

屁(へ)には 「プー」「スー」「ぺー」の三種類がある

 中学生の頃だったか 
 学習塾に通っていたことがある

 嫌で嫌で仕方がなかったが
 母親が<勉強は大事だ>と
 「通え」と送り出したのだ

 いきなり「プー」と音がした
 その音の方に首を向ける者
 笑いをこらえる者
 みんなが注目していた時に

 先生が発した言葉
 屁(へ)には 「プー」「スー」「ぺー」の三種類がある
 と

 「プー」とは・・
 「スー」とは・・
 「ペー」とは・・と

 仔細については忘れてしまったが
 先生の巧みな話に気を取られて
 その場は収まった
 「プー」と屁をこいだ人には
 救いの神だった

 そんなことが頭の中に残っている

 その先生
 「銀の鈴」の謂れとは・・と
 塾の名前について話してくれた

 イソップの童話
 「金の斧 銀の斧」その話
 “神さまは正直な人には優しくしてくれますが
 それだけに
 うそつきには厳しい態度を取ります
 欲張ってうそをつくと
 結局は前よりも損をするのです”という話

 「みんなにはそういう人になって欲しい」と
 その<言葉>だけが頭の片隅にしっかり残っている

 どんな顔だったのか
 思い出そうとしても
 ぼんやり浮かんではすぐに消えてしまうのに

 その<言葉>だけは
 しっかり覚えている
 自分はそんな人になれただろうか

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by hai-toku | 2016-08-03 11:47 | 邂逅 | Comments(0)

巨泉さん逝く

 永六輔さんが亡くなって
 また
 それも追うように巨泉さんが亡くなった

 お二人ともテレビ界で一時代を築いた人
 戦争の愚かさを肌で感じ
 時代に物申した人

 この何年かの間に
 相次いで
 そんな人たちが旅立たれた
 淋しい限りだ

 巨泉さんと言えば
 丸顔で自信に溢れた表情
 人生遊び心も大切に
 洒落(しゃれ)た人だった

 11PM
 大人の番組
 「平凡パンチ」に「11PM」
 背伸びして覗き込むような世界だった

 「野球は巨人 司会は巨泉」
 何言ってるんだよ!
 「野球は阪神」だろう

 巨泉さんの曜日より
 藤本義一さんの曜日の方が性に合ってたか

 そんな視聴者にはお構いなしに
 我が道を行く・・
 巨泉さんて そんな人だつた

 バンフに旅行に行った時
 頼りにしたのは
 「OK SHOP」
 巨泉さんの店だ
 
 2002年の1月
 「辞める記者会見じゃないんです
 もう辞めたんです」と
 参議院議員辞職の弁

 「昨日の予算委員会を見て
 今日辞職することを決意した
 一番責任があるのは
 小泉純一郎首相なのに
 だれも悪口を言わない

 ぼくが辞めることで
 国民が考え直してくれるなら
 と決意した」

 理想と現実か・・
 裏切られたという思いか
 このままではという怒りなのか

 巨泉さんは宿題を残したまま
 逝ってしまった

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by hai-toku | 2016-07-21 17:31 | 邂逅 | Comments(0)

京都商業高校(京商)が強かった時代

 車に乗りながらラジオを聞いていた
 
 夏
 暑い夏
 高校野球の京都府予選

 京商が勝ち進み
 甲子園への出場を果たした

 <ドロップ>
 当時はそう呼ばれていた
 大きく曲がる<ドロップ>を武器に
 勝ち進み
 勝ち取った栄冠

 小さな大投手と言われた
 井口和人投手を中心に
 少ないチャンスを生かし
 守りの野球で勝ち抜いた
 そんな印象が強い

 時は1981年(昭和56年)
 勝山監督が率いる京商が
 甲子園でも守りの野球で
 決勝戦まで勝ち進んだ

 この年のことを覚えているだろうか
 あの工藤(名古屋電機))や渡辺(前橋工業)
 荒木(早稲田実業)らがいた時代

 京商は初戦の二回戦で渡辺の前橋工業に
 5対4で勝ち
 三回戦は宇都宮学園を1対0
 準々決勝は和歌山工業を2対0
 そして準決勝では鎮西を1対0と
 三試合無失点でとうとう決勝戦まで
 勝ち進んだのだ

 井口の粘りの投球
 <ドロップ>の威力
 守りの野球で
 頂点まであと一歩
 相手は兵庫の報徳学園だ

 このチームには金村がいた
 投手で四番
 確かそうではなかったか

 その金村に阻まれて
 優勝を逃した
 決勝戦は0対2というスコアだった

 この頃の京都の高校野球
 京都西高校(のち京都外大西)には
 三原監督という名物監督がいた
 京商の勝山 京都西の三原
 
 もう少しあとには
 京都成章高校 立命館宇治高校の卯瀧
 龍谷大平安高校の原田と続く

 いつの時代もわくわくさせてくれる
 高校野球
 
 その中で
 ひと際輝いた時代
 プロ野球には進まなかったが
 井口の名前は忘れられない

 今日は
 オールスターゲームの第一戦が行われている
 ホームラン競争では大谷が初出場で即優勝
 そのテレビ中継を見ていて
 あの時代
 京商が強かった時代を思い出した

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by hai-toku | 2016-07-15 19:37 | 邂逅 | Comments(6)

お先に失礼

 東京やなぎ句会

 ユニークな人たちの句会があった
 入船亭扇橋さんを宗匠に
 永六輔さん 大西信行さん 小沢昭一さん
 桂米朝さん 加藤武さん 柳家小三治さん
 矢野誠一さんという面々が揃う

 その句会が編集した本がある
 『楽し句も、苦し句もあり、五七五』
 
 句会五百回 四十二年を振り返って纏められた一冊
 2011年7月15日に初版が発売された

 2011年4月の第501回句会の写真には
 元気な姿の
 米朝さんや小沢さん加藤武さんらが
 記念写真に納まらるように映っている

 勿論永さんの姿も

 山下かおるさんが「あとがき」で
 メンバーひとり一人の好きな句を
 紹介している

  未来とは硯を洗う幼い手

 “小さな手が不器用に
 しかし懸命に硯を洗っている
 子どもの手の動きは何とも言いがたい力強さがある”と
 その句を評している

 “詩のように心にすっと沁みこんでくる”と

 そう
 この句は「六丁目」という俳号の
 永六輔さんの句

 “六丁目さんの句からは
 メロディが聞こえてくるような気がして
 楽しくなったり
 時には切なくなったりします”と
 山下かおりさんは書く

 そういえば
 <メロディが聞こえるような>

 “変哲さんが(小沢昭一)さんがある時
 「おなじ話でも小三治さんがすると芸談に
 永さんがするとジャーナリズムになるんだよな」
 とおっしゃていましたが
 『広辞苑』でジャーナリストを調べると
 まさしく六丁目さんの事・・”だと

 <メロディ(曲)>
 <ジャーナリスト>

 「お先に失礼」そんな<言葉>を発するように
 永さんは七夕の日に
 彼の世に旅立たれたそうだ

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by hai-toku | 2016-07-12 16:13 | 邂逅 | Comments(0)

上田正昭先生という人

  山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき代に
 2001年の宮中歌会の召人に選ばれた
 上田正昭先生が
 勅題「草」にちなんで詠んだ献詠歌

 「共生のいのち輝け新しき代に」である
 21世紀を迎えての初めての歌会であったことから
 「新しき代に」と詠んだ

 ここに詠む「共生」の意味について
 “私の考える「共生」は
 『古事記』が「共生」を「とも生み」と訓(よ)んでいるように
 異民族・異文化と共に
 新しい歴史を創造し
 あらたな文化を生成する「とも生み」である”と記している
  (上田正昭著『「大和魂」の再発見 日本と東アジアの共生』より)
  (以下 引用部分は同書による)

 21世紀という時代を
 人権文化の輝く世紀に
 との思いが強く込められている

 「(普遍的)人権文化」とは何か
 先生はこう記す
 “いのちの尊厳を自覚し
 人間が人間の幸せを自然と共に営み
 新しい歴史と文化を人類が共に生んでいく
 その行動とみのり”であると

 確かにそうなのだ
 だが現実は
 「人権文化の輝く世紀」にはほど遠い
 寧ろ後退している印象さえも感じる
 <危険な時代>になるのではないかと
 不安になる

 「人権受難の世紀」
 先生は20世紀をこう表現された
 だからこそ人類の英知を傾け
 21世紀を「人類文化の輝く世紀」にと
 人権を尊ぶ人だからこそ
 歴史家として
 そのメッセージを発したのだろう

 “個人の尊厳は大事です
 けれど
 他の人々の尊厳もしっかり把握する必要があります
 そして
 命の尊厳を自覚し
 自然とともに人間が人間として共に新しい歴史や文化を生んでいく
 幸せを築いていく
 その努力の成果が人権文化です”

 先生は2014年にこの本を出版し
 同年 新潮選書では『日本古代史をいかに学ぶか』を
  •  2015年には
     明石書店で『「とも生み」の思想--人権の世紀をめざして』
     藤原書店で『古代の日本と東アジアの新研究』 と
     立て続けに本を出されている

     伝えていくべき<言葉>
     「和魂漢才」「和魂洋才」
     “東アジアのなかの日本はいまこそ
     「和魂漢才」「和魂洋才」を正しく受けとめて
     東アジアの人びとと連帯し
     民衆と民衆がまじりあう「民際」にもとづいて
     たんなる「共生き」ではない
     東アジアの人びとと共に新しい歴史と文化を創造する
     「共生み」の21世紀を構築すべきではないか”

     そのメッセージは
     聴く人の心に響く

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    by hai-toku | 2016-03-19 14:15 | 邂逅 | Comments(0)

    指しゃぶり

     『現代思想』3月号の「編集後記」
     乳児の指しゃぶりについての記述が気になった

     “指をしゃぶりだした乳児は
     いくつかの手順を踏んでから
     親指を口に含むようになる
     握った手の甲を舐めはじめてから
     手のひらのふくらみや
     親指の付け根へ
     伸ばした人さし指と中指へ
     幾度も向きや曲りを変えながら
     具合のよい手の位置を探す
     だがそれは
     親指という答えを見つけるまでの迷いではない
     一つの指に飽きても
     次の指が見つかるとは限らない
     指と指とはまったく別の世界にあるらしく
     乳児はそのあいだで無数の試行錯誤を繰り返す
     やがてそこから一つの筋道が見つけられ
     次の指が確信をもって選ばれる”

     長い引用になってしまったが
     <そうなのか?>と
     何度も読み返した

     果たしてどうなのだろう
     と
     今まさに指しゃぶりをしている孫を見る

     子どもはどうだったのだろう
     と
     思い返すのだが

     親指をチュウチュウと音を立てながら
     吸っていたことだけが
     印象に残っている
     そこに至るまでの過程はどうであったのかは
     さっぱり思い浮かばない

     「♪ちゅっちゅ ちゅちゅ姉ちゃん ちゅちゅ姉ちゃん♪」と
     歌うように言うと
     にっこり笑って
     親指を吸い続けていた
     
     その情景だけが目に浮かぶ

     古い日記をひっぱり出して確かめてみた

     生まれて47日
     「抱っこすると<うんうん>と話すような仕草
     握りこぶしを口元に持っていきしゃぶるようだ」と書いているが
     これは・・?

     生まれて二か月
     「抱くと<あーあー>とお話をする」
     これも・・?
     「相手をするとにこっと笑う 表情が豊かになった 何とも可愛い」と
     こんなことも書いている

     生まれて三か月
     「ほっぺを撫ぜると声を出して笑う」
     「腹這いをさせると首をよく上げるようになった」
     「よく身をよじる」
     「もう半分ほど横に向くようになった
      あと少しでうつ伏せになるようだ」

     生まれて四か月
     「うつ伏せにすると首をよく上げている」
     「イチゴ汁や重湯の上汁を飲ます」
     「一人で寝返りができるようになった」
     「<あうあう>と大きな声 寝返りも上手になった」
     
     生まれて五か月
     「よくモノをつかむ」
     
     生まれて六か月
     「ひじと膝で少し前に進む」
     「よく動く」

     生まれて七か月
     「<バイバイ>と言うと 手を振る仕草」
     「ふすまも破るし戸棚も開ける」

     生まれて八か月 
     「お母さんを目で追いいなくなると泣き出す」
     「<バイバイ>と手を振り それらしきモノをしゃべる」
     「<まんま>と言える」

     生まれて九か月
     「<まんま まんま>と姉が食べているのを見ると
     泣き出す」
     「動きも早い 机のふちをもって回る」

     生まれて十か月
     「<はーい><ばんざい><おいしい>それぞれ動作をする」

     生まれて十一か月
     「<かしこい かしこい>ができる」
     「音楽に合わせ上手に首を振る」
     
     はて?
     肝心の指しゃぶり
     どうであったのか
     わからない

     孫の様子を観察するか037.gif

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    by hai-toku | 2016-03-04 19:37 | 邂逅 | Comments(0)

    思い出す日々

      「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」
     “離れたことによって
     やっと見えてくる風土や生活”
     29歳の私
     馴染めなかった都会生活
     滋賀県 近江の地を結婚して離れていて
     その地が見え始めて来たと
     歌を詠む

     “あの近江の深いしずけさ
     真夏でさえどこか暗かった空合のようす
     ああ”と言い
     “あれは琵琶湖という大きな水をかかえた
     近江という器の聖だったのだ”と気付く
     “身に沁みて感じられた”と書く

     “あの四季いつも
     朝昼夕夜そして
     どんな天候のときの琵琶湖も
     それぞれの風情があって心をひきつけられたのだということに
     29歳の私はやっと気がついたのである”と

     <わたしは近江に帰りたかった>
     近江という器
     琵琶湖はたっぷりと真水を抱きてしずもれる
     まるで
     私を抱くかのごとくに

     あの頃の
     あの風景が瞬間的に浮かんでくる

     阪急電車は河原町が終点ではなく
     大宮が京都の終点であった
     四条大宮の交差点の角に立つ
     その一方に
     トロリーバㇲが走っていた
     
     市電
     市電は京都のまちを縦横に走っていた
     いつの間にか邪魔者にされ
     車に押しのけられるように姿を消した

     ドキドキした
     ひとりでに動く階段
     百貨店のエスカレーター
     手すりを持って恐々一歩踏み出し
     乗ったものだ

     京都のまちに行く
     京都市内に住んでいるのにもかかわらず
     繁華街に行くのに
     「京都に行く」と言う
     田舎者は
     緊張で目に力が入り顔がこわばっていた

     何度も書くようだが
     周りの空気が
     時代時代で違うように感じる
     空の色も映る景色も体の汗さえも

     フランソア
     木屋町通り四条小橋を少し下がったところに
     そんな名前の喫茶店がある
     若い時分に友人と珈琲を飲みながら語ったり
     音楽を聴いていた
     クラシック音楽
     サロンの雰囲気

     通り過ぎる人
     偶然にすれ違いそのまま離れていく
     何十人何百人何千人と
     繰り返す

     何かの縁で再び出会うことはあるのだろうかと
     記憶の糸を辿ろうとする
     だが
     それは一瞬
     大概気にも留めずに足を速め
     その場をあとにする

      「さざなみの近江兄弟社メンターム折りふし塗りて六十七となる」
     この高野公彦さんの詠んだ歌も面白い
     <メンターム>懐かしい響き
     六十七か・・ 

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    by hai-toku | 2016-01-10 14:30 | 邂逅 | Comments(0)

    京都

      「階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅」
     河野裕子さんと永田和宏さんの『京都うた紀行』という本に出てくる
     京都新聞で掲載された「京都歌枕」の連載を本にしたものだ

     言うまでもなくお二人は共に歌人
     京都と滋賀の歌枕の地を訪ね歩き
     歌に詠まれたその場所についての魅力
     思いを綴り歌に詠む

     冒頭の歌は当時同社大学の学生であった
     梅内美華子さんが詠んだもの
     その情景がありありと目に浮かぶようだ
     
     若さ
     梅内さんの息遣い 
     階段を上がり切った
     そこに広がる北大路のまちの景色
     さまざまに想い浮かぶ

      「河骨や月を包みいし雲はいま深泥池を西に過れる」
     ご夫妻の息子さん
     永田淳さんが詠んだ歌だ

     「河骨(こうほね)」はスイレン科の多年草
     沼沢などに自生し根茎は太く横臥
     氷上に露出している

     この河骨が黄菖蒲や三槲などの水生植物の花とともに
     初夏の深泥池に咲く

     “月を覆っていた雲が西に移動し
     あとには月が顔を出した
     周りは明るくなり
     池の面の河骨をくっきり見える
     意味はこんなところだろうが・・”と
     河野さんは書いている
     “静かないい情景歌だと思う”とも

     深泥池
     何度かその場所を訪れたのだが
     車で行ったのか
     バスや市電を乗り継いで歩いて行ったのか
     思い出せない

     ただ
     何とも言えない寂しさを
     感じた記憶がある

     それは池のせいだったのか
     その時の自分自身の心情からきたものか
     それも曖昧だ

     「静寂」
     そんな<言葉>で言い表すこともできる

     上賀茂神社を詠んだ歌
      「ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ」
     が紹介されている
     式子内親王の詠んだ歌だ
     
     ほととぎすは「時鳥」とも書く
     永田さんはこの歌を
     “「神山」は賀茂別雷神が降臨した山としてのご神体である
     式子は十年ほどを賀茂斎院として奉仕したが
     「そのかみ」に「神山」を掛け
     斎院時代を偲んでいるのである
     時鳥がほのかに鳴いていたあの賀茂の空は決して忘れられないとの意・・”だと
     解説して
     <言葉の響きと連なりが美しく忘れがたい>と綴っている

     この歌は上賀茂神社を紹介する冒頭の歌ではないが
     私自身もお気に入りの歌である

     忍ぶ恋心
     石丸晶子さんの『式子内親王伝 ~面影びとは法然』という本がある
     式子内親王の詠んだ歌には
     その秘めた恋心を詠んだ歌が数多く見受けられる

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    by hai-toku | 2016-01-08 12:19 | 邂逅 | Comments(0)

    ロバのパン屋

     あのメロディー・・
     ♪ロバのおじさん チンカラリン
      チンカラカンコン やってくる
      ジャムパン コッペパン
      ・・いかがです
      チョコレートパンに アンパンに
      なんでもあります
      チンカラリン

     うろ覚えなので
     歌詞は間違っているかも知れない

     そんな歌
     ロバのパン
     その歌を聞くと
     急いで家の外に出た

     待ち受けていると
     やって来る
     ロバのパン屋

     ロバが車を曳いて
     頭を左右に揺り動かしながら
     段々と近づいてくる

     京都には
     昔
     そんなパン屋さんが家の近くにやって来た

     一番のお目当ては
     蒸しパン
     二つに割って食べる

     思い出すと
     今でも
     生唾を飲み込むような心地になる

     やがて
     ロバの姿は見えなくなり
     車に変わる

     あの懐かしい歌だけが変わらずに
     聞こえていた

     そんなロバのパン屋も
     いつの間にか町から姿を消したような・・

     あの歌
     懐かしい時代の歌ですね

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    by hai-toku | 2015-10-02 11:10 | 邂逅 | Comments(0)

    貸本屋

     「子どもの頃 家の近くにごく小さな本屋さんがあった」

     今週の木曜日24日の朝日新聞「天声人語」は
     こんな書き出しで書店についての話を綴っていた

     それで思い出した
     ぼくが子どもの頃
     確か
     家の近くに貸本屋さんがあった

     小さな店だった

     棚に並んでいたのは
     漫画だったか・・
     そこは朧(おぼろ)げだ

     眺めながら
     手に取って
     パラパラと捲(めく)ってみる

     場所を変えては
     手に取って・・と
     その動作をしばらく繰り返す

     正に貸本屋さんは
     別世界だ
     空想の世界
     確か
     そんな気分だったような・・

     借りるときはどうだったか
     カマボコ板に名前を書いて・・
     そんなことをしたような

     カマボコ板
     確かに何かに使ったような
     そんな記憶がある

     子どもの頃のそんな記憶
     
     紙芝居のおじさん
     自転車に紙芝居の箱を積んで
     拍子木を鳴らして
     子どもを集める

     何某(なにがし)かのお金を払って
     一本の箸の先に飴があって
     海老煎餅(えびせんべい)に挟んでいたような・・

     これも記憶が曖昧(あいまい)だ

     お金がない時は
     遠くで紙芝居のおじさんの声に
     耳を澄まし
     話の中味を想像する

     いやもっともっと
     想像を振らませて
     楽しむ

     そんなこともしたような
     あったような
     子どもの頃の話です 

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    by hai-toku | 2015-09-26 19:18 | 邂逅 | Comments(0)

    学生時代の同人誌のタイトルです             


    by hai-toku
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