魂がゆれる

 佐高信さんが石牟礼道子さんについて
 「私は馴染めないところがある」と
 (「「在日」を生きる」集英社新書 73ページ)
 評しているのが気にかかっていた

 「重要な仕事をされた方ですが
 日本的な情感にからめ捕られてしまうところが
 ありますね」と
 そう語るのだ

 日本的な情感
 
 石牟礼さん自身は
 “筑紫さん(筑紫哲也)の番組で
 アイヌ音楽と
 神を迎える踊りを見たことがありました”と語り
 (週刊金曜日 2018年3月30日号「追悼 石牟礼道子」34ページ)

 “その中で
 日本語の「考える」という言葉を
 アイヌ語では「魂がゆれる」というのだと知りました”と
 続けている

 「考える」とは「魂がゆれる」こと

 “語らぬ思いや数かぎりない断念”
 “近代的な権利意識とは無縁な
 表現以前のデリカシー”
 “それが今も
 アイヌの地に魂の安らぐ時があって
 人は言葉以前に魂同士
 あるいは山川草木と共にゆれあっているというのです”と

 成る程
 「魂がゆれる」
 佐高信さんの感じる石牟礼さん

 「魂がゆらぐ」
 石牟礼さんの魂
 「日本的な情感」と感じる所以なのか 

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by hai-toku | 2018-04-04 19:10 | 読書 | Comments(0)